私事ですが
うちの子供がテレビゲームやPCゲームにどっぷり浸かっていて思うのですが(笑)
近年の3Dゲームは、コンピュターの演算速度の進化に伴い
もはや現実と遜色ないクオリティの映像を再現できるようになってきました。
演算機能の低いパソコンなんかで最新のゲームをプレイすると
演算速度が追いつかないためにキャラクターの移動によって
立ち上がってくる周りの風景が、カクカクして不自然なことがあります。
このように3Dゲームは
キャラクターをプレイするプレイヤーの視点から見える範囲の風景を
その都度演算してモデリング(コンピューター上で三次元の形状やオブジェクトを作成する技術で、デジタル空間で立体的なモデルを設計し、視覚化、アニメーション、シュミレーションなどに利用)しているのです。
最近になって耳にする量子力学ですが
その量子力学を使った光の粒子に関する実験でも証明され
現代の技術に導入されてきています。
つまり
キャラクターが見ていない領域は
ゲームの中にプログラムとして存在してはいるものの
プログラムは実行されていない状態なのです。
このようなコンピューター上での高性能的な仕組みは
実は、わたしたちの身近な世界にも、しっかり反映されているんです。
例えば
今、あなたは家のリビングで寛いでいるとします。
今この瞬間、あなたにとって存在するのは
あなたの目に映る範囲、つまり、リビングの部屋の中だけなのです。
次に
あなたは立ち上がりトイレに向かおうとします。
そして、トイレのドアを開けた瞬間
あなたにとって存在するのは
あなたの目に映る範囲、つまり
トイレの中だけなのです。
何が言いたいかと言いますと
あなたが
見たり
聞いたり
触ったり
感じたりするまでは
その事象は存在していないということです。
わたしたちは
視覚
聴覚
触覚
味覚
嗅覚の五感で感知した情報で
知覚を作っています。
その作り出された知覚には
時間軸・時系列というのがありません。
ここで
脳によって過去から未来へ流れているように組み立てられているのです。
例えば
お部屋でゆっくりしている時
ふいに、外を車が走る音が聞こえるとします。
すると
「あっ、車が外を走っている!」と、思考は自動的に作り出します。
次の瞬間
今度は携帯電話が鳴るとします。
すると
「あっ、電話が鳴っている!」を思考は自動的に作り出し
次に
「誰だろう?」を思考は自動的に作り出し
次々に連想ゲームを始めます。
更に今度は
家のインターホンが鳴ります。
すると
「あっ、宅急便が来た!先日通販で買った本が届いたのかな?」という感じに思考は勝手に連想ゲームを始めます。
では、突然ですがここでクイズを出します。
宅配便のインターホンが鳴った時
その前に鳴った携帯電話の事は、頭の中にあったでしょうか?
更には
最初に知覚した車の音は、あなたの頭から消えていたのではないでしょうか?
このように
わたしたちの頭はマルチタスクになっておらず
違うことを同時に考える事ができません。
起きる出来事は
瞬間的に全自動で次々と起きてきます。
さらに
これらの出来事を脳が勝手に繋げていくことで
「過去」という概念が生み出され
時間の感覚が立ち上がっているのです。
わたしたちは
これまで一度たりとも過去を生きたことはありません。
過去を思い出している
その瞬間は
今、過去を思い出しているだけです。
わたしたちの脳は
瞬間、瞬間に起きる事象を
つなぎ合わせることによって
時間軸・時系列を自動的に作り
これがエピソードとしての「記憶」になるワケです。
つまり
「五感による知覚」→
「思考の連想ゲーム」→
「事象をつなぎ合わせてストーリーとして記録」を全自動で行っているのが
わたしたちの脳なのです。
自分の頭の中で
全自動で作り出される思考は
わたしたちに色んな感情を味あわせます。
時に楽しんだり・・・
時に悲しんだり・・・
わたしたちは
この世というステージで
わたしたちの思考を楽しんでいるのですが
時に苦悩の根源にもなっています。
すべての出来事は
わたしたちの頭の中で起きていることであって
本当は、わたしたちの外側には
何も存在なんかしていないのです。
このことからも
わたしたちは
自分が作り出す思考によって
影響されて生きていることをしっかり認識しながら
前回にも書きました「今を生きる」という思考方法が
楽に生きるための方法であり、人生で余計な悩みも無くなるからです。
わたしたちは
過去に感じるとか、未来に感じるとかは、出来ないのです。
また「感じる」は、「今」にしか出来ません。
「今を感じている状態」は、記憶に囚われていない状態です。
「今を生きる」を少しずつでも採り入れてみてください。